看護教育

なぜ看護学生は沈黙するのか

「相談してね」が届かない、脳と構造の理由

公開日:2026年8月19日 執筆:小野 純也(博士・医学)

「困ったことがあったら、いつでも相談してね」。多くの養成所が、入学時のガイダンスでそう伝えています。そして相談が来なければ、おおむね順調なのだと受け取ります。しかし、相談が来ないことと問題がないことは、まったく別のことです。本稿では、看護学生がなぜ沈黙するのかを、脳のはたらきと組織の構造という二つの側面から読み解きます。現場で信じられている四つの誤解を手がかりに進めます。

INTRODUCTION

相談が来ないことは、問題がないことではない

日本看護学校協議会が厚生労働省の令和5年度看護職員確保対策特別事業として取りまとめた『看護師等養成所におけるハラスメント対応事例収集事業 報告書』(令和6年3月)の冒頭で、同協議会の会長は、養成所におけるハラスメント事例が報道される機会が増えるとともに、電話やメールによる相談も増えてきており、養成所を取り巻く状況が変化していることを感じている、と述べています。

注目したいのは、その相談の多くが、学校ではなく都道府県の窓口に寄せられているという点です。同報告書が収録する事例の大半は、県の養成所担当窓口に学生や家族から電話や投書が入るところから始まります。

つまり、声はあがっています。ただし学校には届いていないのです。

なぜ学生は、自分が通う学校ではなく、面識のない行政窓口に電話をかけるのか。あるいは、どこにも言わずに去っていくのか。ここには、個人の性格では説明のつかない仕組みがあります。

MISCONCEPTION 1

誤解①「困ったら相談するはず」

相談を待つ姿勢そのものが、最初の落とし穴になります。

無視は、脳にとって物理的な痛みである

挨拶をしても返事がない。報告しても画面を見たまま生返事をされる。実習グループの会話に入れない。多忙な現場ではよくある光景ですが、これを「忙しいのだから仕方がない」と片づけることはできません。

社会心理学者のWilliams(2007)は、無視や仲間外れといったオストラシズムが、人間の脳にとって物理的な暴力と同等の意味を持つことを示しました。人間は進化の過程で、集団からの排除が生存の危機を意味してきました。そのため無視されると、身体的な痛みを感じる脳の部位が活性化し、警報を鳴らします。

学生が無視されたとき、その脳内では比喩ではなく実際に痛みが生じているということです。

そして、助けを求める力が失われる

ここに、対応を難しくするパラドックスがあります。Rushら(2014)の調査によれば、職場でハラスメントや冷淡な扱いを受けている者ほど、必要なときにサポートへアクセスする能力が著しく低下します。

つまり、支援を最も必要としている学生ほど、支援にたどり着けません。恐怖で萎縮している状態の学生に「困ったら相談して」と伝えても、その言葉は届かないのです。彼らは相談しないのではなく、相談する力を奪われています。

MISCONCEPTION 2

誤解②「直接言われていない学生は無事」

特定の学生が厳しく指導されているとき、周囲の学生は無関係でしょうか。

Takeuchiら(2018)が日本の大学教員を対象に行った調査では、女性の場合、自分が直接ハラスメントを受けていなくても、誰かがハラスメントを受けているのを見聞きするだけで燃え尽き症候群のリスクが高まることが示されました。

臨地実習は少人数のグループで行われます。誰か一人が強く叱責される場面は、そのグループ全員が目撃します。「明日は我が身だ」という恐怖のなかで、学生たちは質問を控え、目立たないように振る舞うようになります。

直接の対象者だけでなく、その場にいた全員の心理的安全性が損なわれていると考えるべきです。

MISCONCEPTION 3

誤解③「できないから注意される」

実習記録が書けない。優先順位がつけられない。同じことを何度も確認する。こうした学生に対して、指導が必要な場面は確かにあります。患者の安全がかかっている以上、当然のことです。

しかし、その「できなさ」の一部が、関わり方によって作られているとしたらどうでしょうか。

Berryら(2012)の研究は、職場でのいじめや威圧的な態度が、認知機能そのものを阻害することを示しています。業務の優先順位をつける能力や、課題を処理する能力が直接的に低下するのです。同研究は、いじめが対象者を萎縮させ、質問することを封じる効果を持つとも指摘しています。

強く叱責されるほど、脳は働かなくなります。その結果、普段ならしない誤りを重ね、さらに叱責される。この循環に入った学生を「能力不足」と評価してよいのかは、慎重に考える必要があります。

臨地実習は、学生にとってきわめて負荷の高い環境です。慣れない場所、初対面の患者、評価されているという緊張。そこに恐怖が加わったとき、認知機能の低下はいっそう深刻になります。

MISCONCEPTION 4

誤解④「落ち着いてきた」

入学時には熱心に質問していた学生が、数か月後には表情に乏しくなり、淡々と課題をこなすようになる。これを「現場に慣れてきた」「落ち着いてきた」と肯定的に読むのは危険です。

Laschingerら(2016)による新人看護師の縦断調査では、入職から1年のあいだにシニシズムのスコアが有意に上昇することが確認されました。シニシズムとは、仕事や組織に対して冷めた見方をし、情熱を失った状態を指します。慢性的なストレスに対する防御反応であり、燃え尽き症候群の主要な構成要素です。

またRenとKim(2023)は、職場でのいじめが心理的エンパワーメント、すなわち「自分の仕事には意味がある」「自分には能力がある」という感覚を低下させることを示しています。

学生が「文句を言わなくなった」と感じるとき、彼らは心のなかで「この学校に何を言っても無駄だ」と諦め、感情のスイッチを切っている可能性があります。この静けさは、適応ではなく、離脱の直前に現れる兆候かもしれません。

STUDENT-SPECIFIC

看護学生に固有の三つの事情

ここまでは、職場でも学校でも共通して働く仕組みです。しかし看護学生には、これに加えて三つの固有の事情があります。いずれも、沈黙をより深くする方向に働きます。

1相談先と評価者が同じ人である

学生にとって教員は、指導者であると同時に、単位認定を左右する評価者です。学内の相談窓口の担当者もまた、教員であることが少なくありません。学生の側から見れば、相談する相手が自分の進級を握っていることになります。この構造は、担当者個人の人柄や資質とは無関係に生じます。

2学校の指揮命令が及ばない場所で過ごす

臨地実習では、学校の指揮命令が直接及ばない実習施設で、学生が長時間を過ごします。実習指導者との関係で生じたことは、学内の窓口だけでは把握が遅れがちです。学生にとっても、誰に言えばよいのかが見えにくくなります。

3やめることが、資格の断念に直結する

職場であれば、転職という選択肢があります。しかし学生が退学すれば、看護職になるという進路そのものが断たれます。奨学金の返還義務が生じることもあります。耐える以外の選択肢が見えにくいぶん、沈黙する動機は職場よりはるかに強くなります。

加えて、実習という場の性質があります。前掲の報告書は、看護師等養成所がハラスメント問題の生じやすい環境にある理由として、安全に直結する資格教育であること、少人数で密な関わりが生じ身体的接触の機会も多いこと、評価に画一的な正解を示しにくく恣意的と受け取られる可能性が残ること、人の生死に関わる価値観を扱うことを挙げています。

HOW TO READ

では、沈黙をどう読むか

ここまで見てきた仕組みを踏まえると、実務上の判断が一つ変わります。

これまでの読み方 相談が来ない = 問題がない

相談を待つ姿勢が前提になっている

これからの読み方 相談が来ない = 言えない状態かもしれない

言えない理由があると仮定して、学校側から確かめにいく

この転換は、精神論ではありません。相談する力が奪われることが、研究によって示されている以上、待つ姿勢では届かない層が構造的に存在するという認識に基づく、方法の変更です。

では、具体的に何を確かめればよいのか。前掲の報告書は、学生と教職員の双方に同じ設問で意識調査を行い、認識の差を可視化する手法を示しています。「相談しない理由」を直接尋ねる設問も含まれます。この点は自己点検・自己評価に関する記事で詳しく扱いました。

本稿のまとめ

  • 無視や冷淡な態度は、脳に物理的な痛みを生じさせる(Williams, 2007)
  • そして、助けを求める力そのものを奪う(Rush et al., 2014)
  • 見ているだけの学生も、心理的安全性を失う(Takeuchi et al., 2018)
  • 恐怖は認知機能を低下させ、「できない学生」を作り出す(Berry et al., 2012)
  • 沈黙と無感情は、適応ではなく防御反応である(Laschinger et al., 2016)
  • 学生には、評価者との同一性・学外環境・逃げ場のなさという固有の事情が重なる

学生が沈黙するのは、弱いからではありません。声を上げられない仕組みが、そこにあるからです。

次稿では、この沈黙を支えている文化的な要因を扱います。「私たちの頃はもっと厳しかった」という言葉が、なぜハラスメントを永続させるのか。患者には献身的な看護職が、なぜ学生に対しては冷淡になりうるのか。「適者生存」と呼ばれてきた文化の構造に踏み込みます。

AUTHOR
小野 純也(Junya Ono)Ph.D.

博士(医学)。株式会社コノラボ 代表取締役。PLOS ONE Academic Editor。アカデミック・ハラスメントの撲滅を目指す非営利国際団体 Academic Parity Movement(APM)International Advisory Board Member。大学・養成所における研究倫理およびFD/SD研修の企画・登壇多数。

【利益相反の開示】本稿の執筆者は、看護専門学校向けの外部ハラスメント相談窓口サービスを提供しています。本稿は研究知見および公表資料の解説を目的としたものであり、特定のサービスの導入を推奨するものではありません。

REFERENCES

引用文献

  • Berry, P. A., Gillespie, G. L., Gates, D., & Schafer, J. (2012). Novice nurse productivity following workplace bullying. Journal of Nursing Scholarship, 44(1), 80-87.
  • Laschinger, H. K. S., et al. (2016). Starting Out: A time-lagged study of new graduate nurses' transition to practice. International Journal of Nursing Studies, 57, 82-95.
  • Ren, L., & Kim, H. (2023). Serial multiple mediation of psychological empowerment and job burnout in the relationship between workplace bullying and turnover intention among Chinese novice nurses. Nursing Open, 10, 3687-3695.
  • Rush, K. L., Adamack, M., Gordon, J., & Janke, R. (2014). New graduate nurse transition programs: Relationships with bullying and access to support. Contemporary Nurse, 48(2), 219-228.
  • Takeuchi, M., Nomura, K., Horie, S., Okinaga, H., Perumalswami, C. R., & Jagsi, R. (2018). Direct and Indirect Harassment Experiences and Burnout among Academic Faculty in Japan. Tohoku Journal of Experimental Medicine, 245(1), 37-44.
  • Williams, K. D. (2007). Ostracism. Annual Review of Psychology, 58, 425-452.
  • 一般社団法人日本看護学校協議会『令和5年度看護職員確保対策特別事業 看護師等養成所におけるハラスメント対応事例収集事業 報告書』(令和6年3月)
    https://www.nihonkango.org/report/recruitment/pdf/r5_harassment_case.pdf

本稿が引用した研究の多くは、新人看護師または大学教員を対象としたものです。看護学生を直接の対象としたものではないため、知見の適用にあたっては一定の留保が必要です。本稿では、共通して働くと考えられる機序に限って参照しています。

本稿は研究知見および公表資料の解説であり、個別の事案に対する診断や助言ではありません。学生の心身の不調が疑われる場合は、専門機関にご相談ください。

更新履歴

2026/08/19 公開